KEIJYU's Second Short Story

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朽ちる身体 Vol.3 ― Scabiosa(スカビオサ)

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*****

 

 月白の光が、驚いた健一郎さんの顔を照らした。その光に照らされた髪は青というより碧く、美しいなぁなんてぼんやり考えていた。

 

「自分が何を言っているか、分かってる?」

 一呼吸の間をおいて、彼が言葉をのせた。

 私はただ頷く。

 

「吸血鬼になるつもり?」

 

 「……はい」

 もう一度頷いた。あなたと同じものになりたいから。

 

 健一郎さんが溜息を一つ、深く吐いた。

 

「元には戻れないんだよ」


「分かってます」

 

「じゃ、何で?」

 

「貴方と生きていたいから」

 私は答えを迷わなかった。

 

「それが永遠に続くんだ。君は、それがどういうことなのかわかってない」

 彼が私を見つめる。その瞳は、突飛なことを言い出した私への驚きと同情と……懇願だった。

 

「ううん、分かってるよ」

 私は彼のこめかみに触れ、その碧い髪に指を絡ませる。

 

「……私には別れを悲しむような人もいない。私は、今まで一人だったの。ううん、一人ですらいなかった。私は生きていなかった。今、貴方のおかげで私は生きているの」

 

 彼は俯いて、私が紡ぐ言葉を聞いていた。私は彼の頭をそのまま引き寄せ、胸に彼を抱く。

 

「……もう一人はいや。貴方を一人にするのもいやなの。これで貴方の孤独を終わらせてあげられる」

 

 彼は目を瞑り、おでこを私の胸に委ねてしばらくそのままにしていた。その重みが心地よくて、私はそのまま彼の髪を撫でていた。

 

「ねえ」

 健一郎さんが私を見上げる。背の高い彼に見上げられるのは初めてのことで、甘えた声と合わさって、なんだかとても彼が可愛らしかった。

 

「ん?」

 

「知ってる? 吸血鬼にも性欲はあるんだ」

 目尻に皺を寄せた、私の大好きな彼の微笑み。

「ふふ。さっき聞いたわ」
 

 自然と体勢が変わり、もう私は彼の下に。今度は彼が私の髪を撫でる。彼が私を見つめる瞳にはもう先ほどの混乱や懇願はなく、あるのはただ濡れかかる妖艶。

 

「ずっとこうしたかったんだ。我慢できなくなるから、なるべく会わないようにしてたのに」

 彼はゆっくりとそう言いながら、私のブラウスのボタンを一番下まで丁寧に外していった。

 

「私がしたかったの」

 わざと軽い言い方をした私に、彼は愛おしそうな視線を向け、頬を撫でる。それがくすぐったくて堪らなかった。

 

「ねぇ、吸血鬼でもキスはできるの?」 

 

「どうだろ、試してみようか?」

 おどけて聞く私に向かって、彼は片方の口角を上げた。そこには牙は見えなかった。便利な牙だな、なんて考えてると、そのまま健一郎さんの顔が近づいてきて、私たちははじめてのキスをした。

 

 食料としてではなく、私自身を求めてくれる彼の舌の動きに、私はすぐに夢中になった。

 

 月夜に照らされ、重なる二人の影。

 

 彼が私の名前を何度も呼ぶ。その度に私の子宮が収縮し、彼が苦しそうな声を上げた。


「けんちっ、ろっ、さんっ」

 私が彼の名前を呼ぶ、その度に彼が大きく脈打ち、私の中を支配した。

 

 何度目かの絶頂の後、彼が果てるとき、私は同時に意識を手放した。

 

 

 

*****

 

「……じょ……ぶ? 大丈夫?」

 彼の声が遠くで聞こえる。うっすら目を開けると彼の残像がぼやけ歪む。それは私がガタガタと震えているからだった。

 

 「うっ」 

 声が出せない。喉が焼けるように熱い。

 

「落ち着いて」

 健一郎さんに抱き締められた。

 

「ううっ」

 頭が割れるように痛く、身体中の全ての血液が脳と視神経に向かって逆流していく。口の中でなにかが動き回っていて言葉を発することができない。口元に手をやると、牙が飛び出しているのが分かった。

 

「落ち着くんだ。大丈夫だから」

 私を抱き締める健一郎さんの腕の力が強まる。

 

  苦しい、苦しいよ、助けて、健一郎さん。その声が出ない。

 

 そのとき、彼が私の後頭部を支え、自分の首元にあてがった。

 

 「そのまま牙を立てろ」

 何を言っているかわからなかった。

 

「大丈夫だから」

 彼が私の背中をさすりながら言う。

 

「深呼吸して。そのまま牙を立てろ。楽になる」

 遠退きそうな意識の中、私はその彼の言葉に素直に従った。未知の世界の中、私には彼だけが全てで、彼に縋ることしかできなかった。

 というより、ただ本能で、血を欲していたのかもしれない。

 

 無我夢中で彼の血を吸っていた……らしい。もう、記憶がなかったから……

 

 気が付くと、身体の苦しみも熱さもなく、ただ、目の前には彼が倒れていて……無意識に口元を拭うと、手がべったりと緋色に染まった。

 

……彼の……血。

 

「キャーーーーッ!」

 何が起こっているか、わからなかった。

 

「……だ、い、じょうぶって、言った、ろ」

 真っ青な顔の彼が私に手を差し伸べた。私は駆け寄り、その彼の手を取った。

 

「健一郎さん! 健一郎さんっ! やだ! 私、何を!」

 どうして彼が倒れているの? 一体何が起きているの? 私は何をしたの? 

 

「……いいんだ。……僕が……そうさせたんだから」

 私の頬を撫でる彼の力が段々と弱まる。

 

「独りにしないで。二人で生きていこうって……永遠に続くって……お願いだから」

 

「……ごめん。君を手放してあげることも、君と一緒に生きていくこともできなかった。僕は弱いから……君に、なれるなら、僕は、幸せだ」

  

 彼は最後の力を振り絞り、目尻に皺を寄せた。

 

 お願い、今、ここで私の大好きな笑顔を向けないで。   

 

 

「……これで……彼女のところに……ありがとう」

 

 

 

 最後にその言葉を残し、彼は消えた。跡形もなく。屍すら残してはくれなかった。

 

 

 私は、ただ茫然と立ち尽くすだけだった。

 

 

 

***** 

 

 こうして私は吸血鬼となった。独りきりの、哀れで滑稽な吸血鬼。

 

 私は今すぐに彼のところに行きたかった。彼以外、何も受け入れたくなかった。誰も襲わなければ飢えで死ぬことができる。でもそれは想像以上に辛かった。

 

 何日も我慢を重ね、最後には「これで彼のところにいける」と考えながら意識を手放すのに、次に目にするのは首から壊死が始まった屍なのだ。そう、今日のように……

 

 珍しい色のスカビオサが風に揺れている。青や紫ではなく、綺麗なスカーレット。まるで、隣に転がっている屍から流れ落ちる血を吸って生き生きと咲いているような、大きくまるっとして少しくすんだ赤色の花。

 

  私はその花を無造作に引きちぎった。血まみれの指に赤い花。私はその花をぼんやりと見つめる。ポタリと落ちるのは屍血なのか花びらなのか。

 


 そして、また私は一人で彷徨う。碧い髪を探しながら。

 

 

 あなたはこうやって一人で生きてきたのね。ずっと一人でこうやって彷徨って耐えてきたのね。

 

 あの最後の言葉は私を絶望の淵に落とした。彼は初めからそのつもりで私を選んだのだ。優しすぎるヴァンパイアはただ弱くてずるい人だった。

 

 それでも、それが、私の生きる本当の意味だったのかもしれない。

 

 スカビオサ花言葉は”I have lost all." ――私は全てを失った。

 

  衝動的に私はその真っ赤な花びらを口にした。むしゃむしゃ貪った。全てを私の中に入れた。私の中に貴方がいる。貴方の孤独も私の孤独も、この私の中にいる。私は貴方を決して一人にしない。

 

 

 でも、でもね……辛いよ。一人は辛いよ、健一郎さん。

 

 

 誰か、誰か私を助けて。


End

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