あなたは悪い人だ

 

 

「もう、今日こそは物申す!」

 

 とある事務所の経理部。何年かただ真面目に勤務してるだけだったのにもうすっかり周りから「お局」呼ばわりされている私。その方が仕事上やり易いところもあり、怒りも否定もせずそのまま呼ばれることにしている。

 

 そして数分前、いつものように領収書の整理をしていると問題の数枚を見つけ、オフィスを飛び出した。

 

 カツカツとヒールを鳴らして向かうは近くのコーヒーショップ。うちの事務所が試験的に出している一号店で、うまくいけばチェーン展開する予定だ。

 

「オーナーは!?」

 勢いにまかせてドアを開けて大声を出したので、お店の中にいたお客様も店員も何事かとこちらを振り返った。

  

「なーに? お客様がびっくりするよぉ♡」

 チョコモーモーのような甘い甘い声。

 

 声がする方を見上げると、店内の出窓から顔を出していたのはここのオーナーの哲也さん。ストレートの柔らかそうな髪。透けるような白い肌が哲也さんをキラキラと輝かせて、そこにチャーミングなホクロがお星様のように点々と広がっている。

 

――はぁ、今日もなんて可愛らしいお姿//// 編み上げのお洋服が中世のお姫様みたい~。ダメですよ~/// 語尾なんて伸ばしちゃって~////

 

「おーい」

  いつも笑っているかのようなかわいらしいアヒル口に両手を添え、窓の桟に肘をついて小首をかしげている美しい塔の上の姫ラプンツェル。もとい、哲也さん。

 

――はっ! ダメダメ! 騙されちゃダメ!

 

「オーナー! これ、なんですか!」

 気を持ち直し、握りしめていた領収書をわなわなと揺らす。

 

「もう、オーナーじゃなくて哲也さんでしょぉ♡ 」

 

――ふゎー、あんなに階段を跳ねて降りてくる36歳のおじさんいる? 綺麗な髪がピョンピョンって!  羽! 羽が見える! やっぱりあなたは天使なの? 天使なのね??////

 

「おーい。どこ見てんのぉ?」
 いつの間にか小首を傾げたエンジェル、もとい哲也さんが私の目の前で手を振っていた。

 

 ――はっ! ダメダメ! 私はお堅いお局様!

 

「コホンッ。オーナーはオーナーです! で、この領収書なんですけども!」

 

「あ、やっと戻ってきたぁ。ここじゃお客様にご迷惑だから、二階に上がってて。おいしいコーヒー入れるからぁ♡」

 哲也さんがくすくすと笑いながら、「どぉぞ」と二階につながる階段に向かって両手を添えて差し出した。

 

 ――うわ、その仕草、何? 何事なの? 女子? 女子でしょ? 手まで白くて綺麗っておかしくない? おかしいよね? はぁ、かわいいわー///// きれいだわーーー/////////

 

「ゴホッ、わ、わかりました」

 平静を装い、わざとヒールの音を立てて階段を上がる。

 

「よいしょっ」

 と低い天井を避けるように身を屈めて中に入れば、そこはコーヒーの妖精さんのお城。落ち着く木目調の壁や床、アンティークのラジカセや扇風機、天井には六芒星の照明。テーブル代わりにはおあつらえの珈琲色のトランクケース。

 

―― はぁぁ、なんて素敵なの、この落ち着く空間♡さすが哲也さん。インテリアのすべてがセンスいい。さすが妖精さん♡♡

 

 窓から下の店内を覗くと、哲也さんがコーヒーをハンドドリップしているところ。ケトルをゆっくりと回しながらドリッパーにお湯を注いでいく。下のビーカーには、琥珀色の綺麗な滴がポタリポタリ。

 

「おいしくなぁれ♡」

 まるでわが子のように愛おしいといった様子で、優しく声をかけていく哲也さん。

 

――あぁ、あの愛されてるコーヒーになりたいっっ!! それかあんな風に優しく触られているビーカーになりたいっっ!!

 

「できましたぁ♡」

 その声に、下のお客さまと私の溜息が同時に漏れる。

 

――もう、いちいち語尾に♡がついてますよー。乙女なんだからぁ。

 

 タップのステップを踏むかのようにリズムよく軽やかに階段を上がる哲也さんに、私は慌てて出窓から離れてトランクケースの前に座り直した。

 

「おまたせぇ。はい、どうぞ♡」

 哲也さんが私にコーヒーカップを手渡したあと、向かいに腰を下ろす。妖精さん用の小さなお部屋に二人きり……距離が、近いです……

 

「……ありがとうございます……いただきます」

 コーヒーショップのロゴが入ったカップをそっと顔に近づけると、鼻腔にスッキリとしたお花のような香りが広がる。口に含むと、ブラックなのにほんのり甘い丸みを帯びた風味が舌をくすぐった。

 

 たった一杯で私に幸せを呼び込むコーヒーの魔法。

 

――哲也さんは、妖精さんじゃなくて魔法使いだった。

 

「ん?」

 哲也さんは、コーヒーを飲んでいる私の反応を確かめるようにこちらを見ていて、私がほっと一息ついたのを確認し、とても暖かい目をこちらに向けて……だから、距離が、近いです……

 

「いえ、何でもありません。……おいしいです……」

 

「でしょぉ。 そりゃ、俺がいれたからね」

 満面の笑みで胸を張り、親指で自分を指差す哲也さん。

 

「で、経理さんの用事はなんだっけ?」

 

――思い出した! くつろいでいる場合じゃない!

 

「そう! この領収書です! 時計20万円って何ですか!?」

 私は領収書をトランクケースに乱暴に置いた。

 

「あ、これ? レジのところに飾ってるの見た? かわいいでしょ。アンティークショップで一目惚れしたのぉ♡」

  

「一目惚れとか言ってんじゃありませんっ! この前だって、ゴミ箱に2万円って! 」

 

「あれねぇ、たっかいのにさぁ、ケンチが蹴ろうとするんだよ。ダメだよねぇ」

 

「『ダメだよねぇ♡』とかかわいい声出してもダメです!」

 

「ぷっ! そんなにかわいかったの? 俺」

 

――確信犯のくせに、こいつはもう!

 

「そ、そんなことどうでもいいんです! コーヒー一杯当たりの利益っていくらか知ってます?」

 

「それは経理さんのお仕事でしょぉ」

 

「オーナーなんだからちゃんと考えてくださいっ! あとこの領収書! コーヒー豆が何でこんなに高いんですか!?」

 

「うーん……いい豆だから?」

 

「『いい豆だから♡?』じゃないんです!商売する気あります? これだと一杯千円取らないと原価割れしですよ?」

 

「それはダメ。お客さんに気軽に美味しいコーヒーを飲んでもらわないと」

 

「だったら! 予算とか原価とかちゃんと計算してください! 夢ばっかり追いかけてもお金は儲かりませんっ! それなりのコーヒー豆でもオーナーの技量でおいしく作れないんですか?」

 

「はぁ? 」

 急に哲也さんの顔つきが変わった。

 

――忘れていた。この人は今でこそこんなに可愛らしくて爽やかなお姫様のようなおじさんだが、若い頃は地元で「バッタ」という名前で幅を利かせていた相当悪い人だったんだ。

 

「ああ、うっせー。豆で妥協するわけないだろ、ったく」 

 いかにも耳障りといった風に、首を傾げ、耳をかく。

 

「もういいよ、それ返せ」

 哲也さんはそう言い投げ、乱暴に私の手から領収書を奪い返した。

 

―― バッタさんです! それ、バッタさんが出てます! こわっ!

 

「ど、どうするんですか、それ」

 

「自腹で払う。なら文句ないだろ? てか文句言うな。本社に関係ない」

 哲也さんがこっちを睨む。

 

――私の頭で血管が切れる音がした。そうブチッと。

 

「そういう問題じゃないの!」

  感情に任せトランクケースを強めに叩いてしまったせいで、カップの中のコーヒー跳ねる。

 

「はぁ?」

 

「オーナーはこの店をここだけで終わらせるつもりですか?」

 

「っんだよ、急に。そんなわけないだろ?」

 

「だったら、うちの社長にこのコーヒーショップが儲かるってことを数字で示さないと!」

 

「だから、俺が自費で払うっつってんだろ?」

 

「違う!!」

 私は声を荒げた。哲也さんが驚いた顔をしたが、もう止まらなかった。

 

「この美味しいコーヒーをもっと大勢の方に飲んでほしくないんですか? 私は飲んでほしいんです! 全国にここの支店を持つのが私の夢なんです。だからオーナーが無理すればいいっていう問題じゃないの! 分かります? ちゃんとビジネスとしてこの1号店を成功させて社長に認めさせないと! そのためには話題性はもちろん収支面でもきちんと結果を残すことが大事なの!」

 

「はぁはぁ」

  一気に捲し立てたせいで、終わったあとに息が上がっていた。

 

「ふぅん。なるほどぉ」

  いつのまにかバッタさんは消えていて、いつもの甘い口調の哲也さん。ニタついた笑顔が気味悪い。

 

「な、何ですか!?」

 

「そんなにこの店が好きなんだぁ?」

 

「……どうでもいいじゃないですか」

 

「ちゃんと答えてよ。そんなに好き?」

 トランクケース越しに、哲也さんの顔がすっと近づいてきた。

 

「そ、そうですよ。だめですか? 哲也さんのセンスとコーヒーへの愛がたくさん詰まったこの店が大好きなんです!」

 

「ふぅん。そんなに俺が好きなんだぁ」

 哲也さんがトランクケースに手をついて、その綺麗な顔がさらに近づいた。

 

「だからそうですって!……って、へっ?」

 

「ふふっ。よくできました」

 哲也さんが私の頭に手を置いて二回……

 

――こ、これが、噂に聞く頭ポンポン !!??

 

「オ、オーナー? ち、近いです」

 

「オーナーじゃなくて哲也さんだって言ってるでしょ? 一人のときはいっつも哲也さんって呼んでるくせにぃ」

 

「ふへっ?」

 

「時々、心の声、漏れてるよぉ。『哲也さんー♡』ってハートマークつきで」

 

「はっ? 嘘……」

 

「気づかなかったのぉ? ふやけた顔と真面目な顔の百面相も?」

 

「えーっと……」

 顔が熱い。くすくすと笑う哲也さんにもう何も言えない。

 

 「今度は真っ赤だよぉ。こんな素直な子には、哲也さんからごほうびあげなくちゃね」

 そういうと哲也さんは、私の頬に手を添えて……

 

 目を閉じて、ゆっくりとこちらに顔が近づいて……

 

――キスされる!

 

「わ、わ、わー!! なになに?何ですか?」

  気づくと咄嗟にその手を振りほどいていた。

 

 ポカンとした哲也さん。

 

――やっちまったな!

――なーにー!?とか言ってる場合じゃないけども!

 

 と思ったら、急に笑いだした。

 「あはははっ。え? なになに? 恥ずかしがっちゃう感じ?」

 

「え、え、ちょ、ちょっと」

 

「かわいいわぁ」

  まだ笑っている哲也さん。

 

「はい、ちょっと落ち着こうか」

 哲也さんは、私の両肩を優しく撫でる。

 

「は、はい」

 もう私は哲也さんのなすがまま。

 

「ちょっと深呼吸する? はい、スー、ハー」

 

スー、ハー。

 

「吸ってぇ」

 

 スー。

 

「はいてぇ」

 

 ハー。

 

「目を閉じてぇ」

 

 ギュッと目を閉じてー

 

「オレならねぇ……」

 

 ん? 急に哲也さんの声がくぐもった。おかしいと思って耳に手をやろうとすると、哲也さんの手がそこにあり…………

 

 何も見えない、何も聞こえない。

 

……そして……唇に感じた柔らかくて甘い感触。何十秒なのか、ほんの一瞬なのか。

 

「へっ?」

 

「へっ? 変な声ぇ。あはははっ」

 目を開けると、お腹を抱えて大爆笑する哲也さん。

 

――わ、わ、私、や、やっぱり哲也さんとせ、せ、せ、接吻!?!??

 

「ふぁわぁあっ! ごぽっkjhgちゅいおkmんbvgty67ういkm!!」

 言葉にならない雄叫びに、いまだに涙を浮かべて笑っている哲也さん。

 

「キスくらいでそんなになって、かわいいぃ♡」

  哲也さんが私の頭を撫でてくれるのは、とても恥ずかしくてとても嬉しいけど、バカにされているのはバカでも分かる。

 

「な、何言ってるんですか! こんなキ、キスくらい! ぜ、ぜ、全然平気ですから!」

 私は哲也さんの胸を押して距離を取った。

  

――嘘っ! 夢にまで見たあの哲也さんとく、く、く、くちづけ!!!

 

「ふーん。なになに? まだ足りない? もっとすごいのがお好み? ガンっていってガツンってやる?」

 

「いやいやいや! オーナー!からかうのはやめてください!」 

 

「からかってないけどねぇ。ふふっ。じゃ、これは?」

  

 後頭部に哲也さんの手が添えられたとき、私の思考回路は完全にショートした。

 

 もう一度哲也さんの顔が近づき、彼の唇が目の前にきたと思ったら、私の唇にまた柔らかい感触。ほんのり、さっきの甘めのコーヒーの味と香り。今度はリップ音が響く。目を閉じることもできず、初めて視覚と聴覚で感じる二回目のキス。

 

――………………

 

「おーい。またどっか行っちゃった。キスでこんなになったらこの先どうなっちゃうんだろうねぇ、俺のお姫様は ♡ 楽しみだなぁ♡」

 

――こ、こ、この先? お、お姫様?

 

 その言葉でやっと意識が戻ってきたとき、手に紙を握らされていることに気づいた。恐る恐る広げると、それは革製品のショップの見積り。

 

 キーリング作成費と書いてあるそれは、どう考えても……桁が1つ多い……

 

「よろしくね、有能な経理さん ♡」

 

「て、哲也さんっ!」

 

「あれ? ここはオーナーじゃないんだぁ」

 

 

 

 ――あなたはほんとに悪い人だ。

 

 

End

 

 

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