朽ちる身体 Vol.2 -BLUE MOON(薔薇)

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 *****

 

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「大丈夫?」

 

 目黒川沿いにある古いアパート。青い髪の彼が、ドアに背をもたれて仕事帰りの私を待っていた。

 

 私のその問いに答える様子もなく、俯いたままの彼。その長い前髪が顔を隠し、表情が読み取れない。ただ、その下からのぞく頬は血の気がなく、今にも消えていなくなってしまいそうだ。

 

「……冷たい」

 彼の頬に手をあてる。

 

「……暖かい」

 彼が自分の手を添えた。

 

「すぐ開けるから」

 鞄からアパートの鍵を取り出し、ドアを開ける。

 

「……ごめん」

 彼は、立っているのがやっとといった様子で私の肩に頭を預けた。そのまま彼を支えながら部屋に入り、リビングのソファに座らせる。

 

 ソファに沈みこみ、深くため息をつく愛おしい人。

 

「……綺麗だ」

 ふと、彼がローテーブルの上に置いている花瓶を指差した。花瓶に生けていた数本の薔薇。青みがかった薄紫。

 

「珍しい色だね」

 

「BLUE MOONっていうの」

 

「青い月……か。君を見つけた時も今夜と同じ青い月だった」

 

 この薔薇を見て、私と同じことを思い出してくれたのがとても嬉しかった。私が彼に囚われた、あの瞬間の青白い月の光を。そして、今夜の月も同じ光で彼を照らしている。

 

「でもこの薔薇は青というより薄紫だね」

  目尻に皺を寄せてそこまで言うと、彼はまた深く息を吐いた。数回の呼吸とともに肩が上下する。

 

「そんなに辛くなる前に、もっと早く来てくれたらいいのに」

 私は、彼がだらんと力なく膝に投げている腕にそっと触れた。

 

 彼は私の言葉に顔を上げた。そして、そのオリエンタルなアーモンド型の目に宿る艶やかな琥珀色の瞳で、真っ直ぐに私を見る。

 

「……でも、僕のタガが外れて、君を失う訳にはいかない」

 

 確かに、彼が私を食し続けたら、私はすぐに死んでしまうであろう。彼のその言葉は、私を喜ばせ、そして悲しませる。私を大事にすることは、私を欲しないことであるから。

 

 それでも、私は、もっと私を求めてほしかった。最後まで私を貪って欲しかった。

 

  そう、私は彼に見つけてもらって救われたのだ。あの日から、私はもうただの物体ではない。俯瞰から見ている私はもういない。私には血を通わせて生きていく意味がある。「彼の食糧」という大切な存在意義。私が彼の血となり、肉となる悦び。

 

  それなのに……優しすぎる吸血鬼。

 

「私は大丈夫だから」

  そう呟きながら、ブラウスのボタンを何個か外し、露わになった肩を彼の前に差し出した。

 

「……ありがとう」

  彼は、壊れ物を扱うようにそっと柔らかく私の肩に手を置いた。青い髪が私の頬を掠めていく。そして、ゆっくりと首に口をつけ、牙を立てた。

 

  琥珀色だった彼の瞳が、緋色に変わり、妖しく光る。

 

 私は、その鈍い痛みに集中するために、目を閉じた。彼は、味わうようにゆっくりと私の血液を吸っていく。首に感じる彼の唇は柔らかく、徐々に暖かくなり、それに呼応して私の身体は少しずつ温度を失っていく。遠退きそうになる意識で、私はまた、まだ生きているんだと実感するのだ。

 

「……ごめん」

 また謝る彼。その言葉と痛みを感じなくなった私の首が、恍惚の時間の終わりを告げる。彼の瞳はもういつもの奥深い琥珀色だった。

 

 私は無言で首を横に振った。

 

「……冷たくなった」

 彼は私の頬に右手を添え、悲しそうに呟く。

 

「……暖かくなった」

 私は彼の手に自分の手を重ね、笑顔を見せた。

 

 彼の白いシャツから覗く綺麗な彼の鎖骨。その上には細身のゴールドチェーンのクロスペンダント。そのチェーンからクロスにかけてそっと右手でなぞってみる。

 

「あぁ、これ? 魔除け」

  彼は軽く微笑みながら答えた。左手でそのクロスを触るのは、無意識なのであろう、いつもの彼の癖だ。それと同時に少し寂しそうな顔をするのも。

 

「吸血鬼なのに?」

 私はわざと可笑しそうに笑った。

 

「可笑しいよね、吸血鬼にこんなものを」

 彼もクスリと笑った。またクロスを触りながら。

 

「その、『こんなもの』を送ってくれた人は、今どこに?」

 外していたブラウスのボタンをかけながら、努めてさりげなく尋ねる私。彼は一瞬目を大きく見開いたが、すぐにまた微笑に戻った。

 

「あぁ。聞いて楽しいものじゃないよ」

 困ったように笑う彼。

 

「愛してたの?」

 

「そう……なのかな」

 

「死んでしまったの?」

 彼と私たちは寿命が違うから、単純にそう思った。

 

「うん……僕が殺した」

  それは思ってもない答えだった。

 

「殺した? 吸い付くしたの?」

 

「半分正解」

 彼はおどけたように両肩を上げた。

 

「なぜ? そんなに独りになるのが苦手な貴方が?」

 眩暈のするくらい長い間独りでいた彼が一度寄り添ってくれるものを見つけたら、自分から絶対に離すことはないだろう。それは、私を大切に扱ってくれることからも想像するに容易いことだった。

 

 一瞬だけ彼の片眉が上がったかと思うと、すぐに自嘲的な笑みに変わった。

 

「僕が欲望に任せて抱いたからね」

 

「抱いた?」

 

「あぁ。吸血鬼にも性欲というものはあるらしいよ。 それが彼女にどんな末路をもたらすかわかっていたのにね」

 彼の透き通る琥珀色の瞳が濁った。

 

「末路って?」

 

「……僕の体液を受けた彼女の身体は……吸血鬼になった」

 

  吸血鬼になる?

 

「え? 死ぬんじゃなくて? あなたと同じ吸血鬼に?」

 

「あぁ」

 

「じゃ、ずっと、永遠に、あなたと一緒に過ごせるってことじゃないの?」

 私の少し上ずった声がおかしかったのか、彼が不思議そうな顔をした。

 

「そうだね。そのつもりだった。でも……」

 

「でも?」

 

「でも、その永遠が彼女には耐えられなくなったんだ。親や愛していた人が先に死んでいく。自分が生きていくには、誰かを犠牲にしていかなければならない。それは、彼女が想像していたよりもずっと苦痛だった」

 

「それで?」

 

「……死を選んだよ」

 彼が目を伏せる。クロスを触る手が震えた。

 

 彼を独り残して逝くなんて。自分が苦しいと思っていることをずっと耐えて生きている彼を。会ったことのない女性が猛烈に憎かった。

  それと同時に、単純に彼女に嫉妬した。彼に愛され、彼のために死に、彼の心で生き続ける彼女。

 

 いや、それは憧れだったのかもしれない。彼とひとつになれたら彼と同じものになれる……彼を独りにしなくても済む……思いもよらなかった、そんな素敵なこと。

 

 テーブルには大きく咲き零れているBLUE MOON。花言葉は「不可能を可能に」

 

 私はその薔薇を花瓶から一輪を手に取り、自身の左手首にあてがった。

 何をしているのかと、片眉をあげて訝しげに私を見る彼。

 棘のある茎を支え、少し力を入れると手首に鈍い痛みを覚える。声を上げることなくそのまま手前に引くと、血が滲んできた。

 

 彼の瞳と同じ緋色の線が伸びていく。

 

 私はその手をそのまま彼に差し出した。緋色だった雫が空気に触れ色を変え、薄紫の花弁に零れ落ちていく。

  彼は動かず、真紅に染まっていく薔薇をただ見つめているだけだった。

 

「……私を、抱いてくれませんか? 健一郎さん……」

 

 私は貴方を独りにはしない。 

 

End

 

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