KEIJYU's Second Short Story

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頭痛が痛い

 

 おでこに冷たいものを感じて目が覚めた。身体が熱くて息が苦しい。ここはどこだ? ああ、マンションで寝ているのか……

 

「ごめん、起こした? 冷た過ぎる?」

 昔から聞き慣れた、女性にしては低めの声。冷却シートが苦手な俺のために、おでこにあてがわれたのは濡れタオル。

 思い出した。金曜に珍しく風邪を引いた俺は、高熱で朦朧としながらも何とか仕事を終え、帰りの車の中でこいつを呼んだんだった。

 

「……ん、気持ちいい」

 

「ふふっ、何、その声。ガラガラッ」

 病人に向かって笑うなんていい根性だ。

 

「うるさい。バカ。ゴホッ」

 悪態を付いてみるが、確かに喉が痛くてカスカスの声しか出ない。

 

「ほら、丸一日は寝てたんだから、無理にしゃべらない方がいいよ。それに、彼女でもないのにわざわざ看病に来ている優しい友人に向かって、バカとは何よ、バカとは」

 こいつはいつもそうだ。こうやって、口答えしながらも優しく微笑んで、熱くなった俺の首にその冷たい手を優しく添え、熱を奪ってくれる。

 

「気持ちいい?」

 

「…ん」

 

「何か食べられそう?」

 

「……リンゴ、すって……」

 俺もいつもそうだ。こいつの前でだけ弱い俺を見せられる。

 

「はいはい。食べたいだろうと思って買っておきましたよ、け、い、たんっ♪」

 『けいたん』にわざとハートマークをつけて呼んだこいつは、嬉しそうにキッチンに向かった。

 

 頭はまだガンガンするし喉も痛いしで、『お前はオカンか』という言葉は一旦飲み込んだ。それに、俺が風邪だと知って、お粥とかじゃなくリンゴを買ってきてくれるのはこいつぐらいだ。

 

「ほら、起きられる?」

 キッチンから戻ってきたこいつの手には、すったリンゴを入れたボウルとスプーンを載せたトレイ。

 

「……ん。ありがと」

 

「どうぞ、け、い、たん♪」

 起き上がった俺の前にトレーを置いたこいつ。いちいち嬉しそうだな。そう思うと、スプーンを俺に差し出したこいつをからかいたくなった。

 

「は? 食べさせてくれるんじゃないの?  ほら」

 スプーンを受け取ろうとせず、こいつに向かって口をアーンと開けると、悪態をついていた彼女の顔が急に赤くなる。

 

「え? 何やってるのよ、37才にもなって」

 

「37は余計。俺、病人な。ゴホッ。病気に年齢関係ないし。ゴホッ。ほら、アーン」

 

「な、何よ。わざと咳き込んじゃって」

 お、なかなか反応が面白い。

 

「ああ、喉乾いた。ゴホッ。早く食べて寝たい。ゴホッ」

 

「もう、分かったわよ。ほら」

  観念したのか、顔が赤いままぶっきらぼうに俺の口にリンゴを入れるこいつがかわいく思えたり。

はむっ。

「おいしい?」

 

はむっ。コクリと頷く。

「そう、よかった」

 

はむっ。

「大体、何でこういう時は私を呼ぶのよ? 看病なら喜んでやってくれる女の子がいくらでもいるでしょうに」

 

はむっ。

「いないいない。いたらお前なんか呼ばないし」

 

「お前なんか、とは何よ。ひどいな、それ。モデルの彼女は?」

 笑いながら聞く彼女。

 

はむっ。

「は、あいつが看病なんかするタマか。それにあのきっつい香水の匂いで、余計に頭痛が痛くなる」

 こいつには触れてほしくない彼女のことを持ち出され、ムッとして答えると、意外にもきょとんとした顔が返ってきた。ん? なんだ?

 

「あははっ」

  急に爆笑する彼女。

 

「そのきっつい香水の女を選んだのは啓司じゃん。それに頭痛が痛いって。あははっ」

 

はむっ。
「うるさいよ。黙れって」

 俺の口にリンゴを運びながらも、目に涙を浮かべて大笑いするこいつに、無性に腹が立ってきた。

 

「さすが啓司、期待を裏切らないわぁ。頭痛が痛いっ、あはは」

 まだ笑ってやがる。

 

「黙らないと、そのデカ口、塞ぐぞ」

 目の前のスプーンを差し出すこいつの手をおもむろに掴み、自分の方に引き寄せる。

 逃げられないようにこいつの後頭部を手で支え、おでこと鼻をこいつのそれに当てた。

 

 触れ合いそうになる唇と唇。キスまであと数ミリ。

 

 

「……啓司の瞳の色が好きよ」

 

 

 驚くこともなく、かといって目を閉じて俺の戯言に乗る訳でもなく、余裕ありそうな笑みを浮かべて、こいつはそう呟いた。

 

「どうしたのよ、珍しく甘えちゃって」

 こいつには勝てない。全部お見通しだ。

 今度は、こいつが俺の後頭部に手を添えて、自分の肩に誘導する。 背中をトントンとするリズムが気持ちいい。

 

「お前はオカンか」

 

「オカンと思って、話してみれば?」

 トン、トン。


「……仕事……やらかしちまった」

 

「金曜日?」

 トン、トン。

 

「……ああ、命かけてここまでやってきたのに……たった一日で壊しちゃった。怒ってる客もいるだろうな。熱で覚えてないなんて言い訳にもならないし。メンバーにも迷惑かけて。体調管理もできないなんて情けね」

 

「そうね、プロ失格ね」

 トン、トン。

 

「……おい、そこは慰めろよ」

 

「ふふっ。だってその通りだもの。自分でも十分に分かっているから、そうやって落ち込んでるんでしょ」

 トン、トン。

 

「でも、これで終わりにしないわよね?」

  

「……ああ」

 トン、トン。

 

「まだ、夢を叶えてないものね? 啓司はバカだけど、やるといったらやり遂げる男よね?」

 

 「……バカは余計だ、バカ」

 

「ふふっ。NINE WORLDだっけ、あのプロジェクトもこれからまだまだ続くんでしょ?」

 トン、トン。

 

 慰めるわけでも叱咤激励するわけでもない、こいつの淡々とした口調に、落ち込んでいるのがバカらしくなった。

 

「……ああ」

 

「じゃ、早く治さないとね。頭痛が痛かったら満足なパフォーマンスが出来ないものね? ふふっ」

  自分で言って笑いを堪えきれないこいつ。


「……なあ、それ、何でそんなにおかしいんだ?」 

 俺の素朴な疑問に、またキョトン顔。

 

「あー、もう、やっぱり啓司だわ。さすが小2で本を読むのをやめただけある。まだ熱もあるみたいだし、しょうがないか」

 妙に感心しながら、俺のおでこに手を当てて熱を測る。

 

「うっさい。もう、いい。寝る」

 ふてくされてベッドに身を沈めた。

 

「うん、明日は仕事でしょ? 熱、下がるといいね」

 

 このとき、俺は何を考えていたのだろうか。寝ている俺に布団をかけてくれようとするこいつの右手をとっさに掴んでいた。

 

「ん? どうした?」

 

「……帰るなよ」

 

「大丈夫よ。病人を一人にしないって」

 左手で俺の手を握り返し、そっと布団の中に入れる。そして、ベッドの横に座り、また右手を俺の首にそっと添えた。やっぱりひんやりとして気持ちいい。

 

「……どこにもいくな。ずっとここにいろよ」

 

「はいはい。啓司はこう見えて淋しがり屋だもんね。寝るまではここにいるって」

 鈍感な奴、俺の言っている意味が分かってない。それともわざとか。

 

「……そうじゃない」

 

「ん?」

 

「いや、なんでもない。……おやすみ」

 まあ、いい。今は何も考えなくていい、とにかくこいつの隣で寝てればいい。俺はそっと目を閉じた。

 

 

――ぼんやりとした頭の向こうの方でこいつの声がする。

 

「髪の毛ふわふわ」

 俺の髪を優しくなでる手。

 

「じっとしていられないのは啓司でしょうに……」

 髪を撫でる手は止まらず、少し寂しそうな声を出す。

 

 ああ、やっぱりさっきキスしておけばよかった。ぼんやりそんなことを思いながら、俺は意識を手放した。

 


*****

 

 目が覚めると、夜が明けていた。嘘のように身体が軽い。ベッドから起き上がる。あいつはもういなかった。まあ、そんな予感はしていた。

 

「ふわーっ、腹減った!」

 大きく背伸びをして、まぬけな独り言を言いながら寝室を出ると、ダイニングテーブルには俺の好きな果物が置いてあり、その脇には紙切れ1枚に見覚えのある文字。

 

『頭痛が痛いのは治った?(笑)

 

 

 思う存分動き回れば? 啓司がそこら辺でのたれ死んだときは、骨を拾ってあげるから』

 

 書いてある生意気な言葉には似つかわしくない、可愛らしいあいつの文字。

 

「バカか、勝手に殺すなよ」

 ついひとりごちた。

「あ、頭痛が痛い。そゆこと?」

 バカなのは俺か。文字を見て、やっとあいつが昨日笑っていた意味を理解する。

「うっせー、バーカッ」

 こめかみをかきながら、いない奴に向かって悪態をついた。 

 

 スマホを探すと、リビングのテーブルの上でちゃんと充電されていた。

 LINEを開くと、あいつがメンバーに『2日間休む』と連絡を入れてくれている。その下には、メンバーからの体調を心配するメッセージが並んでいた。てっちゃんのコーヒーが恋しい。 

 モデルの女からは『今度はいつ会えるの?』という催促。とりあえず、既読スルー。

 そして、プロジェクトのスタッフから今日の打ち合わせの時間と場所の連絡。やっぱり、止まっている暇はなさそうだ。

 

「おっしゃ!また働くか!」

 両頬を叩き大きな音を立てて気合を入れた後、あいつの用意したイチゴを頬張った。

 

「ヤバッ、うっめ!」

 

――これからまた、いつもの日常が始まる。

 

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