朽ちる身体 Vol.4 ―― Silk Jasmine(月橘)

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「もうおしまいにしよ?」

 二週間ぶりに抱いた恋人は、ベッドの上で背を向け、下着を身に付けながらさらっと明るい声でそう言った。

 

「何、どうしたの? 俺が何かした?」

 彼女の腰を取り、こちらに引き寄せようとするが、その手を振りほどかれる。

 

「ううん、何も。ただ……私を愛してくれない人と一緒にいるほど暇じゃないから」

 わざとはすっぱな言葉を選んだ彼女。感情を押し殺した声。

 何も言い返せずにいると、彼女は何事もなかったように身支度を整えていった。

 

 コトリ、とテーブルに置かれる部屋の鍵。

 

「じゃ」

 たったそれだけの別れの言葉と、閉まるドアの音。

 

 分かっていた。最後の彼女の声が震えていたことも、今すぐに追いかけて彼女を抱きしめてあげれば元に戻れることも、それが彼女の一縷の望みであることも。

 分かっていて、足が動かなかった。ただ乱れたままのベッドに座っているだけだった。

 

 いつもはうまくやれるのに、今回の彼女には見抜かれてしまった。別れを切り出されるのは初めてだった。それだけ、彼女はちゃんと「俺」を見てくれていたのだろう。

 

――彼女には分かっていたのだ。ボクが人を愛せないということが。


 ボクは誰にも支配されたくなかった。恋人にも家族にも、もしかしたら自分自身、その身体にすら。
 だから、ボクにはいつも現実感がなかった。 心が身体に縛り付けられていない。それは自由なようであり、不安定でもあった。

 その心許なさを埋めたくて恋人を作るが、しばらくして窮屈になり手放す。今まではその繰り返しだった。今回は手放すより先に、その身勝手さを見破られてしまったけど。

 

「はぁ。新作でも考えるか」

 溜息と独り言を部屋に残し、すぐ近くにある自分の店に向かった。

 

 真夜中の湿った空気、アスファルトからぼんやり昇ってくる独特の匂いが、一度雨が降ったことを知らせている。見上げると雨雲は流れたようで、すでに何個かも星が見えていた。

 

 ――今夜も青白い満月が白い花を照らし、甘い香りが立ちこめているであろう。

 

 店の前にディスプレイとして植えているシルクジャスミン。この季節は青々とした葉からたくさんの白い花が咲き零れている。別名は「月橘」(げっきつ)。ジャスミンのような甘い香りが月夜の晩だとより強く香ると言われる花だ。

 

 店に向かう最後の角を曲がると、アスファルトの匂いは消え、想像した通りの爽やかな香りがボクをいざなった。

 

  目に入ったのは、先ほどの雨で濡れそぼつ月橘と、月の光に照らされたボクより少し小さな人影。

 

 艶やかな漆黒の長い髪を一つにまとめ、シンプルで真っ白なワンピースを着ている美しい女性。それが貴女だった。月橘の前に立ち、花の香りを嗅いでいる。店のシェードで雨宿りをしていたのか、身体はあまり濡れていない。それなのに、切れ長の目に乗せられた長い睫だけが濡れていて、なぜ貴女が泣いているのか、それがとても気になった。

 

 

  真っ白な花を手折る、その爪だけが深紅という「色」を放つ。

 

 

 手折った花を持ったまま、貴女はゆっくりとこちらに顔を向けた。ボクを見てなぜか笑顔を浮かべ、近づいてくる。

 

 ボクは貴女に囚われたまま、身動きすることができない。

 

「……見つけた」

 いつの間にか目の前に来ていた貴女。強いジャスミンの香りがボクの鼻腔を刺激する。

 

「このまま朽ちようとも思ったけど……見つけてしまった……アナタを……道連れにしてごめんなさい」

 

  花の香りより甘い声。ボクをまっすぐに見つめる優しい瞳。少し困ったような弱々しい笑顔。透き通るほど白い肌。

 

 視線が下に移動し、ボクの首にある数多のホクロをゆっくりと順番になぞっていく。ボクは貴女のなすがまま。

 

「白くて綺麗な肌……」

 貴女が嬉しそうにそう呟く。そして、鎖骨の上にあるひとつのホクロに手が止まり、綺麗な深紅のネイルで彩られた長い爪がそこに小さな痛みを与えた。

 

 ボクの白い肌から緋色がじわりと滲みでる。

 

 その痛みは初めての感覚で、そう、「快感」と呼べるものだった。ボクの身体はようやくボクの一部となった。

 

 それは、ボクがようやく感じることのできた「生きている証」だったから。

 

  流れる緋色の血が、貴女が持っていた月橘の花に滴り、その純白を深紅に染める。まるで貴女の爪と同化するように。


  ひんやりと冷たい貴女の唇が、鎖骨につけられたその小さな傷にそっと押し付けられたとき、ボクはそっと目を閉じた。


「……これで、やっと朽ちることができる」

 それは、貴女とボク、どちらの言葉だったのか、今はもう思い出すことができない。

 


――これが、ボクが美しくて優しすぎるヴァンパイアに囚われた瞬間。

 


End

 

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